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屋久島2017 アースアートプロジェクト「円水の塔」

......遠く世界に目をやる。混沌とした澱みの中は、分断化や差別主義が渦巻き先が見通せない。生存への利害が我先にと境界をはりめぐらし「平和」という誰しもが希求する未来はどこにも見えてこない。

再び足元に、目をやる。この足元から広がる透視力―これこそ、<天水の島>ならではの発信位置、発信力であるに違いない。排斥と差別、分断と憎悪がエスカレートする世界の中に、「混沌にして、円満な」円水のイメージが波紋となって広がっていく。バベルの塔のように、天まで届く必要はない。足元から広がる「円水の塔」は、どこに立ってもいい。全ての人に、足元は開かれているんだから。


<天水の島>と<アースアート>を両眼の望遠レンズとして平和な未来へと向かうルートを透視してみたい。

​                   「池田一/屋久島 2017 アースアートプロジェクト」 カタログより

 円水の塔@春田浜 
 円水の塔@宮之浦川 

​円水の塔@春田浜

​安房港から車で5分も行くと、春田浜海水浴場に着く。その海水浴場の横に広がる岩場が、『円水の塔@春田浜』の設置場所だ。中に、円く盛り上がった大きな岩があって、そこを起点に、大小の円形の植物群が天空へと延びている。『円水の塔』の基盤である。岩盤上の直径4メートルの円。それに並んで、円形途上(一部欠損)のもの4体、そして直径3.5メートルの円と並ぶ。そして、前の砂浜には、両端の2つの竹組みの円が、影を地面に落としたように、配置されている、円形途上のものは、これからも成長して見事に円を形成するエネルギーを感じさせて、全体がまるで生き物のような存在感を醸し出している。

                                          (池田一)

円水の塔の根幹となる円形づくりは、難航した。当初のプランでは、短く切った竹を組み合わせて、12角形をつくり、それに更に竹を足して、24角形にする。あとは竹の枝葉を足して、限りなく円形に仕上げるといったものだった。主催者の下津公一郎が、「今回は、プランづくりが早い」と言うが、なかなかそこからが進まない。竹を組んで、円に近づけようかと思うと、使用する竹が増えて、重さが増して、無事に立つかどうか。海っぺりの岩場だけに、風が半端ではなく強い時がある。現地の制作リーダーである喜豊徳が、実際にどのように製作可能なのか、を考えている。昨年は、『水神宿る家たちよ!』という4つの家組みを造る前に、ミニチュアづくりから始めると言う用意周到さだった。今回は、どう造るかという思案に時間がかかった。樽のまわりを締めるただのような組み方をするかという案も出た。そして、最終的に竹を4つに割って、その割り竹を丸く曲げて、繋ぎ合わせるという方法を取ることになった。割り竹はいかにも弱々しくて、荒々しい自然の中では存在感がないのではないか、正直不安であった。しかし、それが思わぬ発見につながった。喜豊徳の、慎重な振舞いのおかげである。       (池田一)

池田一・水奏パフォーマンス with 織田理史

Water Orchestra with Masafumi Oda

円水の塔が立つ岩場に、波打つ海から取り残された水たまり。その水たまりに棲息する数匹の魚たち。円水の塔から溢れる生命力と共に生きようと、水に息を吹き込み、声を増幅させる。<水奏>のパフォーマンス、朝・昼・晩・早朝と、移り行く風景の中、水を奏でることで、どのような豊かな時間が蘇ったか?

                                          (池田一) 

​池田氏の咆哮は力強く堅固な芯をもって周りの空気全体を震わす。それでいて美しく透明である。音楽ではない。私は音楽を奏でているが、池田氏のそれは、抽象的なメロディーでもなければ具体的な言葉でもない......私は、その咆哮に天使の声を聴いた。あるいは天使と言うのが宗教的な含みを持つのならば、「天声」とでも呼ぶ方が適切であろうか。                       (織田理史)

​円水の塔@宮之浦川

​安房から国道を北に向かうと、屋久島飛行場を経て、あっもなく、宮之浦大橋に差し掛かる。橋の上から山側を見ると、50メートルほど離れて、並行に歩行者専用の宮之浦川橋が架かる。その2つの橋の間の川面に、「円水の塔@宮之浦」を設置することにした。一方に屋久島の山並みを見て、もう一方に海を望む、円水の塔にはここしかない絶好の場所である。                  (池田一)

池田一自身が円水の塔のカタログで五つの「思いがけぬ事」として項目立てているように、宮之浦での円水の塔の成立過程、及びその成立には、いつくものトラブル、困難、ドラマ、そして奇跡とがあった。それを詳論するには、事態はあまりに複雑である。行政とのトラブル、思いがけぬ地元民の協力、そして作品自体の思いがけぬ成立、すなわち一瞬の奇跡。水面・水中に設置されるがゆえに、常に水の流れや潮の満ち引きに晒され、一瞬たりとも同じ表情を見せることはない。            (織田理史)

浮き沈みする「水主の手」。池田一によれば、この手の写真の約半分は5歳児のもので、もうあと半分は80歳以上の方のものだという。そこには、二つの並行する移行ないし引き渡しの意味が込められている。まず、80歳を超えた方々から、未来を担う5歳児への、水の引き渡し。それも天水の引き渡しだ。そして七つの海、つまり世界へと届けるための舟を、天水で満たすこと。こちらは天水の世界への引き渡しである。                                     (織田理史)

円水の塔@宮之浦川は、自然の摂理に従って、浮き沈みし、常に新しいドラマを出現させる。自然と人間とが「共生」する新たな公共性が出現している。アースアートの真骨頂である。                                  (池田一)