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池田アート 記録一般  Gerneral Publication

P.M.2 (1984)
これは、固化した現実を流動化し活性化させるための潤滑油みたいなものであり、そこに生起したものを本来の欲求にそって展開していくメディアともなる...(P.M.2より)

パフォーマンス・ブーム真っ盛りの1984年、突如として池田一の手により産み落とされた、一つの里程標。サウンドアーチスト&コンセプターである河合孝治氏は、この本について「当時のバイブルだった」と振り返る。アメリカや日本を主とした当時のアート・シーンの現状を憂い、それに対する強力なオルタナティヴを叩きつけた画期的な書である。池田一の原点の一つたるに留まらず、21世紀の現在なおも、いや現在だからこそ多くの重要な示唆を与えてくれる、あらゆるアーティストを名乗るものが読み、立ち返るべきまさに「古典」であるといえよう。

(織田理史)

IKEDA WATER 1/2(2016)
「定点観測の存在」から「ダイナミックな動態」として蘇生しつつある、「人間環境」。今まで排斥されてきた不確実性、混沌さが、むしろ人間の未来環境を創造する物差しとなるだろう......私は、ここに、Water Politicsと呼ぶ人間力学の成立、起点をみるのである。(IKEDA WATER 1/2より)

これは上掲のP.M.2の系譜に連なるP.M.3である、と見ることもできる(実際、背表紙にはPM3の文字がある)。P.M.2から30年強の間の、池田一のアート観と思想の変遷を辿る上で実に興味深い書物だ。具体的には、メインタイトルにあるように、「水」という媒体をその創作及び思想のメインに据えたこと、また従来のパフォーマンス主体型から野外展示("Ex-tallation")へと活動をシフトさせたことが、その変遷に当たる。P.M.2より期間は空いているが、掲載されている内容は1984年のWater Piano(水ピアノ)から2001年のWater Happiness Movement(水之幸福大移動)まで広範に及ぶ。その思想面においても、水という概念の特異性を駆使し、Water Politicsという一大体系を築いた画期的な書物である。

(織田理史)

IKEDA WATER 2/2(2016)
アースアートの未来を考える上で、「地球に倫理的に向き合うこと」との指摘は重要だろう。だが、ここで誤解してはならない。「自然と、どのようにつきあうか?」という、よくある人間中心主義の考え方から抜け出せない点だ。「自然と共にある人間を、どうとらえるのか?」、人間観の変革にこそ焦点を当てるべき問題である。(IKEDA WATER 2/2より)

タイトルが示すように、上掲のIKEDA WATER 1/2に連なる書物である(背表紙にはPM4の文字)と同時に、今現在の池田一の思想・活動と連続性をもった、「今の池田一」を知るのに格好の書と言える。「今の池田一」とは、まさに「今現在、人類、自然、そして地球が直面している困難へのひるむことなき問題提起」を意味する。「なぜ、いまEARTH ARTなのか?」という序文がそれを象徴しているだろう。1999年の前代未聞のプロジェクト「万之瀬川アートプロジェクト」から2015年まで続く「阿蘇アースアート・ミュージアム」まで、近年の重要なプロジェクトが掲載されている。

(織田理史)

EARTH ART CATALOG 1/2
我々人類は、地球に生まれる定めにあり、水の揺り籠に抱かれ、地球と同じくして成長する。生きとし生けるものは調和して生きている。川は肥沃へと流れ、大地は常緑へと立ち昇ってゆく。(池田一 1995年国連5周年記念カレンダーより)

1984年の”Water Piano:Blue Hands”から2005-2006年の埼玉県芝川でのプロジェクトまで、主要なプロジェクトが収められている(全編英文)。

EARTH ART CATALOG 2/2
〔京大大学院時代の〕ある日、私の研究作業中に、予期できない爆発が起こった。......小さな規模の事故ではあったが、それは化学反応を予測し制御することの困難を私に示した。この経験から私は、専門的な技術が発展するほど、事故を解決し予想することが困難になることを学んだ。(EARTH ART CATALOG2/2より)

2006-2008年の花渡川での大規模なプロジェクトから、2016年より開始した屋久島での「天水の島」プロジェクトまでが収められている(全編英文)。