Earth Art Catalog
and
Booklet
Water Mirror 水鏡
発行:G-day PLAN 1988(J+E)
”〈水鏡〉を形成する境界は、水、石、粘土、油土、砂等の自然物を集積して作られる。水のエネルギーと共振する柔構造である。”
”’境界’づくりは、常に公開のもとで行われる。〈水鏡〉プロジェクトは、共働の可能性を求めて、開かれた場でなければならない。”
”我が国のかつての治水工事が、水のエネルギーを支配、制御するといった機能主義・合理主義の技術観ではなく、水のエネルギーを吸収し柔らげ、むしろ共振するといった技術観であったということは、示唆的である。〈水鏡〉は、その我が国の技術観の延長にある、自然のエネルギーとの共振装置である。”
(本文中より)
Water Diary in New York ニューヨーク水日記
発行:G-day PLAN 1989(J+E)
”水は、矛盾を丸ごと抱えた両義的な物質である。清澄な水面が、突然盛り上がって猛々しく荒れ狂う。水中深く誘い込む渦の恐怖から、鏡のような透明感へと変容する。動と静。楽観と悲観。そのたびに、人間の営為は、大きく振幅する。人間にとって、水は、無数の記憶からなるスペクトル。水という物質のつかまえどころのなさは、近代の人間生活よりも数段大きい振幅のせいではないか? それ故、人は水辺に佇み、水に触れることで、”水”というスペクトルを通して、「人間とものと環境」の間の、さまざまな記憶を呼び起こすことができる。水性の思考。隙間を失い硬直化する一方の”都市”の中にあっても。”
”多文化な都市なのに軋み音が少ないのは、創成と消滅という両端のムーブメントが同時進行しているから、いわば”水性”な都市=ニューヨーク。この都市は、「人とものと環境」に関わる厖大な記憶を噴き上げている。裂け目、割れ目から、風穴から。”
(本文中より)
Floating Earth 漂う地球
発行:G-day PLAN 1999(J+E)
”......このように、池田一の作品はビエンナーレの中心的存在となった......しかしこの落ち着いた姿の一方では、水の放出に伴う制御不能な力や、破壊の可能性を暗示している。我々はこの隠された永続的な危険性により、一瞥した時に感じる均衡の中に、直観的に不均衡を見いだす。何の準備もない。何も終わっていない。何も決まっていない。全てはいつでも変えられる。この概念こそ、芸術作品の永続性に関する表現の中で、私が好むものである。永遠とは?終わりのないこととは、いつまで続くのだろうか?”
”水に反射する光が空間に生み出した虚像としての彫刻は、常に存在し、また常に変わり、まさに私がいつも芸術にたとえる反逆的な大きな鳥そのものである。
この鳥は、分類されることを拒否し、他から決められた自らの限界に反逆し、自分自身で自らの境界を形作ることに無上の喜びを感じるのである。”
(21回サンパウロ・ビエンナーレ ゼネラル・キュレーター ジョン・カンディド・ガルヴォン『反逆の巨鳥』より)
Arcing Ark 水之方舟計画
発行:G-day PLAN 1999(J+E)
”この世に、「池田ウォーター Ikeda Water」と呼ばれる、ある種の水がある。......池田一は香港科技大学の客員芸術家となって、大学構内に「水之方舟」を仮設した。「池田ウォーター」のマジックとでも言おうか、芸術家のもつ大自然を読む能力に、私達自身も自分のあり方について自省することになる。……8年前に池田は右足を骨折し、それ以来行動が不便になっている。しかし池田は笑って、「これで私はコントロールというものから全く解放された」と言った。
しかしながら、彼が言うように天然資源に「コントロール」はないと言えるのか?......池田は具体的な答えはしなかったが、ただ彼の作品が開放的に物語っているとだけ言った。しかし、少なくとも池田一は自らのあり方を探りつづける人間であり、芸術家の自己中心的な考えと、潜在する欲望、これらの権力に挑んでいる。”
”この自覚があるからこそ、彼は大自然と平和共存することが出来るのである。”
(Ming Pao Daily News 明報 1999年2月25日号より)
Moving Water Days 花渡川
発行:エコ・リンク・アソシエーション 2009(J+E)
”多様で複雑化して、もはや人間の手に負えないような次元にいってしまったかのような、地球環境問題。その深刻な状況に対して、ひとりひとりの目線で行動に向かう。花渡川アートプロジェクトは、その「誰でもが環境にたち向かう」時間を、いま紡ぎ出す。”
(IKEDA WATER 2/2より)
Water for the Future 水山車が花渡川を渡る日(2006)、Water-in-Water 100mの水筏が南方に向かう日(2007)、Five Floating Isles 五輪の浮島が漂着する日(2008)などのプロジェクトが収められている。
WATER'S-EYE
published by Ichi Ikeda Art Project 2008(E)
”『80リットルの水箱』は、水はあらゆる人々にとって根本的な権利として存在しなければならない、ということを単に主張している。『80リットルの水箱』は見るものに、次のように問いかける。
------一人の人間がある程度の水準の標準的な生活を維持するには、一日につき80リットルの水を要する、と言われている。しかし、報告によれば、世界の人口の4分の3の人々は、「乏しい水の供給」のために50リットルの水しか使えないという。ケニアのある人々は一日にたった5リットルの水しか使えないよう強いられているという報告がある。他方で、先進国のある人々は芝の水やりや洗車のために一日につき1000リットルの水を用いている。水の供給の間に、非常に広い差がある。基準としての80リットルの水箱を提示することを通じ、私は問いたい、
”80リットル以上ですか?未満ですか?”
(本文中より)
WATERPOLIS @ Delhi
published by Ichi Ikeda Art Project 2008(E)
”水系都市〔WATER POLIS〕は、あらゆる人々を取り巻く環境において彼らが平等に人間としての権利を行使できる社会を創造するためのまさに一つの実践的モデルでなければならない。あらゆる人々が水について平等に共存している大都市デリーを『水系都市』として把握しよう望むことで、
”『デリーにおける水系都市』は『大都市の大きな夢』と『共同切望』との間を浮遊する流れの中を漕ぐ未来の水の船として提示される。”
(本文中より)
Future Compass: rooted water
published by Ichi Ikeda Art Project 2009(E)
”ロイヤル・ボタニック・ガーデンでのアース・アート展示のために、イケダズ・ウォーター〔Ikeda's water〕は、ある生態学的に持続可能な未来へと我々を向けさせる仮初めのコンパスとしての樹の形の役割を果たした。このコンパスは、我々の航海に関して、ある望ましい未来への新しく驚くべき方向を提案する一つの目印であり、象徴であり、指針である。
”何が未来のコンパスになるのか、
何が未来のコンパスでその出現を生み出
すのか、
何が未来のコンパスから出現してくるの
か------”
(ジョン・グランデ)
5 GREENSCAPE 不忍・緑・五景
発行:マルモ出版 2013(J+E)
”不忍池のある場所は、まさに東京であり、都市そのものだ......この場所の自然は、しばしば接近不可能である。進むには余りに濃密で、障害が多すぎる。そこで池田は、自然は未来へ続く道であるであるという新たなビジョンを提示する。それは、現代のエコシステムを尊重し再生するアート、デザイン、製品が、経済と融合する未来である......都市におけるこの自然空間の長い歴史の中で、池全体を使うことは、アートを含めて単独のイベントではかつてなかっただけに、まさに異例の出来事である。
”この公共空間の活用と可能性が、池田一のかってない画期的なプロジェクトによって、再考察され、そして再構築されることになった。”
(ジョン・グランデ『池田一/水世界』より)
Water Blooming
published by Ichi Ikeda Art Project 2015(E)
”我々は、我々を取り巻くシステムを、植物たち、水、光、そして人間の命などといったものども相互のある複雑で生態学的システムとして把握する必要がある。
その意味において、トラウツマンスドルフ城の庭園における『水-百合-池』は、『開花する水』〔”Water Blooming”〕の設置のためにちょうど最も適した場所なのだ。
”文字通り、このインスタレーションは、自然と都市環境の間の新しい生命を象徴化する『開花』のような、新しい運動を創造することなのである。”
(本文中より)
YAKUSHIMA 2016 EARTH ART PROJECT HEAVENLY WATER ISLAND
発行:エコ・リンク・アソシエーション 2017(J+E)
”島に着くなり、私は待ち受けてくれていた人たちに、「天水の島」プロジェクトを打ち明けた。「屋久島は、水の島」とは多くの人が言うが、これだけでは明日へと向かう想像力を掻き立てない。未来志向のアーティストとしては、次のアクションを喚起するイメージから起動する必要がある。この提案に、場の一同、大いに盛り上がった。......「天水の島」プロジェクトは、想像力だけの思いつきのアイデアではない。私の中の「表現者と研究者が競い合って」生まれただけに、ある種の科学的根拠に基づいている。
”まだ見ぬ自分の大きさを、「天水の島」で見つけ、解き放つ。そんなプロジェクトを、多くの人と分かち合いたい。”
(本文中より)
YAKUSHIMA 2017 EARTH ART PROJECT ROUND WATER TOWER
発行:エコ・リンク・アソシエーション 2018(J+E)
”創造することによって自然と共生することができる。これが正しく、お金ではなく感動が人を動かすという池田流のアースアートの作り方である。このようなアーティストの立ち位置は世界に類がなく、天与の才なるかなと舌を巻く思いだ。また池田の構想は、科学的な視座と芸術的な感性の両面から追及されているので、常に現地の地理や歴史についての深遠な研究操作に裏打ちされており、換言すれば地元で暮らす住民の想いや暮らしの精髄を水や自然によって可視化したとも言える。
”池田は、作品の要素に人の感動までも強固に取込み「天水の島」即ち屋久島そのものをアースアートとして世界に発信した。”
(宮薗広幸『天水の人・池田一』より)